山に登ることは空に近づくこと。
2023年9月に行った、ネパールのマナスル(8,163m)の登山では、雲がたくさんのことを教えてくれました。空気は見ることができませんが、雲が空気の状態を私たちに教えてくれています。まさに、雲は空気の“翻訳者”とも言える存在です。
そこで、今月は雲が私にこっそりと教えてくれた2つのことを紹介させていただきます。
写真1 ベースキャンプ(4,800m)の南側で“やる気”を出してきた雲
ひとつ目は、“やる気”のある雲が毎日、同じ場所で発生することです。
雲がもくもくと上方に成長していくことを“やる気がある”雲と呼んでいます。雲がやる気を出すと、積乱雲(せきらんうん)と呼ばれる落雷や強雨、突風などをもたらす危険な雲になるので、雲がやる気を出しているのかどうかを見極めるのは登山者にとって重要なことです。
やる気がある雲は、いつもベースキャンプ南側の同じ場所で発生します。(写真1)。南風が吹く日は、この風に乗って雲がベースキャンプにやってきて雨や雪を降らせます。そこで、干してある洗濯物を回収するかどうかは、この雲が発生するかどうかで判断するようにしていました。
なぜ、毎日のように同じ場所でできるのでしょうか?答えは地形にありました。
雨季の時期には、インド洋からたくさんの水蒸気が運ばれてきますが、この水蒸気がネパール南部のタライ平野を経て川や谷に沿ってヒマラヤ山脈に入ってきます。
前回はマナスル東西あるニつの谷から入ってくる水蒸気が合流するため、マナスルの天気が悪くなると説明しましたが、ここではもう少し細かく見ていきます。
図1
山間部では日中、谷風と呼ばれる風が吹きます。この風は下流から上流に向かって吹くので、ブディガンダキ川に沿ってタライ平野からの水蒸気は下流から上流へと流れていきます。
谷の流れが屈曲すると、水蒸気はそれより上流へ入りにくくなりますが、ベースキャンプからひとつ南側のブンゲン氷河のある谷は、谷の向きがあまり曲がっていないので水蒸気が入りやすい地形です。
この水蒸気を含んだ空気が山の斜面に沿って上昇するため、ベースキャンプの南側では雲ができます(図1)。特に、午前中は太陽が直接、東向きの斜面を暖めるので、上昇気流が強まり、雲がやる気を出しやすくなります。
もうひとつの新たな発見は、高さによって天気が変わることです。
標高5,500m付近が天気の境目でそれより下は天気が悪く、それより上では天気が良くなることが多かったです。
写真2 6,000m付近から見た雲海
天気の境界付近には、安定層という上下で温度差の小さい空気の層があります。この層ができると、雲や水蒸気はその層の中に閉じこめられて、安定層より上に行くことができません。
安定層は地表から1,500~2,000m上空にできることが多く、マナスルでは平地でも標高3,000~3,500mあるため、この高さに安定層ができることが多いのです。
写真2のように、高い所から見下ろすと、雲が川のように流れ、下流から水蒸気がヒマラヤに押し寄せてきている様子が分かります。山頂では遠くのタライ平野でやる気を出している雲まで見ることができました。
聖なるガンジス川の支流である、この川に沿って運ばれてきた雲。口に含むとインド洋の味がするのでしょうか?
文、写真:猪熊隆之